8.12.2006

ピエロ祭について
















La Fête de Pierrot : 1982年年頭に私は考えた。イギリス人画家チャ-ルズ・ワーグマンには、命日2月8日に横浜の外国人墓地で行われるポンチ・ハナ祭りがある。記念碑のないジョルジュ・F・ビゴーのためにお祭りがあってもよいではないか。名前は、彼が自分のキャラクターとしていたピエロの祭りとしよう。

ピエロ祭に必ず食べるメニューは、牛タンである。ビゴーに京都で絵を学んだ野村芳光は、1893(明治26年)当時の話として、ビゴーの自炊生活のなかで「・・・料理は大方、焙いたり煮たりした牛肉で、特に牛の舌が好物であった。タバコと酒が好きだった。磊落で、勿体ぶらないで、冗談ずきで、庶民と親しくしていた。日本語がうまかった。・・・」(鈴木秀三郎著『本邦新聞の起原』より)と伝えている。

こうしてピエロ祭は、1882年1月26日の来日記念日にちなんで、前後の吉日を選んで続けられていた。しかし、雪の降る日もあって遠方の来会者に気の毒ではないかと思い、2005年からビゴーの誕生月である4月の気候のよい日に開催することにした。

左利きのビゴー

ひと月ほど前、ほつれかけたプルオーバーの袖口を編みなおそうと、20年ぶりに鈎針編みをやってみたところ、病み付きになりそうな勢いである。そして、ふと、左利きの人は鈎針をどう持つのかと考え、では鉛筆は、筆は、と考えながら、そういえばビゴーは左利きだったことを思い出した。高校時代の同級生で、現代書家として活躍している森岡静江さんにさっそくメールをしたところ、筆の持ち方は基本的に創造行為には影響しない。入門者には一応持ち方を教えるけれど、とのことだった。トメやはらいは右利きに有利かどうかと質問したところ、書道には字を書くこと以外に彫ることもあり、篆刻、象形文字など自由な書き方のもとでは、左利きハンディはないだろうという専門家らしいお答えが帰ってきた。

なるほど、刻字にハンディなし、そこではたと思い至る点があった。ビゴーのサインは極端に左下へ傾斜しているし、日本文字でのサインにはある種の傾向がある。それは、肉筆には美好といった漢字のサイン、銅版画にはビゴーと縦書きに入ることである。これについて、私は、美好と書くのは、漢字も書けるという彼なりの優越感の表れ、カタカナは日本人に向けても外国人を意識して、というようなことを考えてみた。しかし、彼は左利きだから美好はいわゆる仮名釘流でやっと書いているところがある。お手本らしき、隷書の字も資料には見られるが、それとの差は歴然としている。しかし、カタカナの「ビゴー」は単純な直線だから、刻字として銅版画に彫るのはたやすいことだった。これが真相ではないだろうか。

ビゴーはおそらく日光への旅行で左甚五郎のことを知った。そしてわざと「シダリジンゴロウ」などと、自称して見せた。Hの音のないフランス語ではイダリジンゴロウになってしまうが、シとヒの区別のない江戸言葉をうまくしゃれてそういったのだろう。彼のおどけた笑顔が目に浮かぶようだ。


追記 その後、左利き-レフティの人のためのサイトをいろいろと見るうち、同盟の動きやユニバーサルデザインの照会がネットを通じて行われていることがわかった。
書道の本や編み物のキットなどは、フェリッシモhttp://www.felissimo.co.jp/left/で販売されている。鉤針編みについては、英語のサイトになるがクロシェ・ギルド・イン・アメリカが左利き用の学習サイトを作っている。この画像の作り目のところをためしにダウンロードして、反転させてみたところ、手持ちの教則本と一致した。例えば、既存の右利き用の編み方の図をスキャナーで読み取り、水平方向に反転させると左利き用になるかもしれない。お試しいただきたい。
追記・その2 実際に両手ききの人に聞いたところ、鈎針編みを教える場合、学習者と面と向かってすわり、自分がやることと同じように、鏡をみているように手を動かすように指導するとよいそうである。背後にまわって針を使うと、指導者は混乱するからだという。糸のよりが右利き有利だから左利きはきれいにできないという説は疑問だ。リボン状のものやリリアン風の糸などさまざまな素材が出回っているから、利きうでには関係なく、人とは違った個性的な作品をつくることをめざすのが現代的な編み物の世界だろうと思う。